お仕事とそうではないもの。

社会人5年目の仕事で感じたこととそうではないことのメモ代わり。

当たり前の毎日の終焉。戻れない。

先日、弊社の異動内示日。
今年度の「当たり前の毎日」が終わった。

……と思っていたら、係がほとんど全員残留となった。予想していなかった事態である。
初めて、当たり前の毎日が継続することになったのだ。
現在のメンバーが全員残留するということは、新しい人も来ないことを意味する。事務的にはすごく楽ではある。引き継ぎもない。
ただ、人間関係にほとんど変化が無いのは、ちょっとつらいような気もする。
人間関係が限定されるブランチは窮屈なのだ。外からの新鮮な空気を吸いたかった、という思いはあるかもしれない。

これまで私は年度が変わるたびに、上司も同僚もほぼ全員変わっていた。周りが全員異動、あるいは自分一人が異動となることが多かった。
そのなかでどうやって信頼関係を築いていくか。それが仕事のストレスのほぼ全てであり、その一方で楽しさでもあった。たった一瞬でも、思いが通じたと思える同僚や先輩、上司が増えていくことが、私の一番の楽しみになった。
だけど、来年度は、今の関係性がそのまま全て継続。慣れた環境、よく知ったメンバー、そして自分で一年かけて作り上げた仕事。絶対に楽ではあるんだけど、少し息苦しさを感じた。

自分の受け持つ研修の研修生たちは、見事に栄転していった。分かりやすいくらいに引き抜かれて異動していった人がたくさんいた。
そういう側面のある研修だということは認識していたとはいえ、実際に目の当たりにすると恐怖すら感じた。人事はえげつない。
同世代の私は、焦る気持ちも少しある。
本社に戻れず、ルーティンワークを中心とする今の職場に塩漬けになるのではないだろうか。そう焦る気持ちが、どうしても消えないのだ。

私だって、本社でバリバリ働きたい。
どうせ10時まで残業するのは変わらないのに、なぜブランチなんだろう。
私だって頑張っているのに、なぜ本社にいる相手方の部署の同期は、あんなに上から目線なのか。
ブランチで、本社の下請け。同じ社員なのに、この理不尽さはなんだろう。
どんなに頑張っても、外に出すのは本社の役割。私たちの名前は一切出てこない。
ああ、本社に良いように使われているだけなんだ。
このご時世、世間は厳しい。人員削減、経費節減と叫ばれる中、ヒトもカネも付かない本社は考えた。自分たちとは別組織という建前で、下請け会社をあえて作った。でもその社員は全員本社から出向した人たち。
本社はそこに人を送り込む。自分たちに都合の良い人を送り込む。
自分たちにはヒトもカネもつかない分、その下請けを最大限活用し、ヒトをカネを使っている。それだけの話じゃないか。
私はその都合の良い人に選ばれたという、ただそれだけの話なのだ。

この構造に気づいてしまったときに、自分の中でやる気が一気に萎えてしまった。
どんなに頑張っても仕方ない。報われない。そんな気持ちになってしまった。
私が頑張っても、本社の同期や係長たちが出世していくだけなのだ。
役職のある人たちに覚えめでたいのは、彼らだけ。だって彼らは、私たちの名前なんて出さないから。

彼らはおそらく、その構造にすら気がついていないと思う。特に同期は無意識だろう。
自分たちがこんなに頑張っているのに、なぜブランチはさっさと帰るのか。やる気がないのか。そう思っているかもしれない。
でも、それはこの構造なんだもの。頑張っても報われない、そのくせ本社はやたら「自分たちは一生懸命」と言い訳する。
そうじゃないのだ。自分たちは一生懸命、それは分かったけど、それにしたって君たちは自分たちのことしか見えていなさすぎる。
私たちを巻き込んで仕事をするけど、役員に仕事を上げるときに私たちのことなんて口にすらしないだろう。そしてメールしてくる。
「今日役員に話上げました。おかげさまで労ってもらいましたよ。お疲れ様でした」
労ってもらったのはあなたたちだけ。
私たちはただの下請けだもの、存在すら気づかれていない。同じ社員なのに。

なんでこんな同じ社員なのにあからさまに力関係が違うのだろう。本社の同期とか仕事が雑なくせして、いちいち他人に対してドヤ顔で何かと上から目線なのは何なんだろう。
そこで、本社ということの意味をようやく知った。自分が本社にいた頃は気がつかなかった権力や力関係をいやというほど理解した。
それが、本社で、本流にいるということの意味なのだろう。
そして私のこの理不尽な立場こそが、ブランチであり、下請けであるということなのだ。

入社以来、私の仕事は恵まれたものばかりだと思う。
本社のダイナミックな流れの中で、一番必要とされるときに求められたことをやってきた。
だからこそいつも前例がないのであって、その中でどうしたらより良いものが作れるのかを議論しながら、突発的なトラブルに対応しながら作り上げていった。
それは大変だけど、その経験は本当に代えがたいものだと思う。
そのことは常に誇りに思っているし、感謝もしている。
そういう仕事ができたから、周りの人たちにも恵まれてきた。いつも、前向きな人が多かった。

でも、思うのは。間違いなくそれはいずれも本流ではないということ。
社会から、その時々に求められていることというのは、言い換えれば時限的なものなのだ。私の携わってきた仕事は大体すべて実施期間が限定されおり、いずれもいつか消えて無くなる。
そして、そういう面倒くさい仕事は、得てして権力のある部署は自分で持たない。
その結果、私は〇〇部にいる、とエリートぶれる、もしくはドヤ顔できる部署には、これまで一度も行ったことがない。

「どの部署で働くのかよりも大事なことは、その部署であなたが何の仕事を任せてもらえるか、だよ。」
1年前、私が希望の部署に異動できずいじけていた時に、私の同期はそう諭してくれた。
「本流と言われるような部署は大きいし、エース級の社員が何人もいるからこそ、仕事のできない人を受け入れられる懐の深さもある。
若手で行っても大した仕事をやらせてもらえないことだってあるし、ただの飲み会要因で異動になることもある。部署に権力があるからって勘違いするやつも多いよ。うちの部長がこう言ってるから……で無理難題も通せると思ってるやつもいるしね。
そういう人員として、若い頃に本流に行ってもしょうがないでしょ。
それよりも、どの部署でも任せてもらえた仕事を一生懸命やることの方が大切。
仕事のできる人は案外いないんだよ。色んな人が、この人は文書一枚がきちんと作れるか、そう見て評価しているんだから。」
彼は続けてこう言ってくれた。ありがたかった。

今の仕事は好き。組織も嫌いじゃない。
ただ……あまりに権力を持つ部署と距離が近すぎる、それも下請けという権力構造の中にいるから、常にあてられる。人事はえげつないし、出世を目指す野心家たちはみんな食えない。そういうものが見えすぎて、嫌になるときもある。
でも、ずっと本社にいたら多分この気持ちに気づくことはなかった。私もブランチに対して、気遣うこともせず、勘違いしたエリート風を吹かせて上から目線でいたように思う。
だから、すごく貴重な経験だと思う。

でも、私、いつか本当に本社に戻れるのかなぁ。。
結局このまま、期間限定の仕事を処理する、使い勝手の良い「お祭り屋さん」として、本流には行かずに終わるんじゃないかしら。。