お仕事とそうではないもの。

社会人5年目の仕事で感じたこととそうではないことのメモ代わり。

私はテレビを見ない

私はテレビを見ない。

別に意識が高くて見ないのではない。
むしろ高校生くらいまでは親が呆れるほどのテレビっ子だったので、テレビを見ることそのものは好きである。好きだった、というのが正しいか。
そんなテレビっ子だった私が、今やテレビを見るのは月に3時間以下だと思う。見なくなった理由はどうしようもないし、何よりちょっと物悲しい。
それは、リビングに行かなくなったからである。

私の家庭は、ちょっとばかり事情が混み入っている。
私が中学生になる1週間前に、突然母が亡くなった。それまで、専業主婦とサラリーマンという、ありふれた(恐らく、今思えば恵まれた)家庭に育った私は、ある日突然「父子家庭の娘」になった。
ああ、私は「普通」じゃなくなるんだ……と気が付いたその日は、怖いくらいに冷めていたと思う。
母が亡くなったというのに、頭がその状況についていけず、悲しいのかすらよく分からなかった。
もちろん大泣きしたけれど、意外と心は冷静だった。父ですら涙を流していて、ここで泣かなかったら人としてどうなんだろうという気持ちが少なからずあったことを否定できない。
それくらい、頭も心も突然の現実を受け止めきれていなかったのだと思う。

それからしばらく父と妹と親子3人仲良く暮らしていたが(途中親戚にお世話になったり引越したりと紆余曲折はあったが)、大学生になる頃、再び転機が訪れた。
父が再婚したのである。

その頃、既に20歳近かった私。
もう大人なので、今更他人と同居もあるまい。
当然一人暮らしをさせられるものだろうと思っていたし、そのために親戚たちに根回しもしていた。夕飯に連れて行ってもらえば、「いや、私も大人ですからね。今更同居はちょっとキツイですよー。もしそういう状況になったら妹とふたり暮らしですよね」とかって話をしておく。
でも、人生は甘くない。そうは問屋が卸さなかった。
後妻曰く、「大学生の子が、実家がこんな近くにあるのに一人暮らしなんておかしいわ。就職のとき、変な目で見られてしまうかもしれない。」
……というわけで。
その優しいご配慮で、私はありがたく、実家に残していただけることになった。
でも、それはていのいい言い訳で、本音のところ、父が後妻とも娘とも一緒に暮らしたかったらしい。そのために、後妻に対して「あの子たちは家事も自分たちでできるから何の問題もない!」と言っていたらしい(この発言は、後に後妻との間で大問題に発展したけど、それはまた別の話である。)
それはまあ仕方がない。当時は扶養に入っていたから文句を言うつもりも無かった。でも、とはいえ。
まるでドラマみたいな話だけれども、後妻とは全く折り合いが合わず、私はリビングに行かなくなった。

後妻が家に来てから、彼女は「この家はなんでこんなに汚いの?信じられない」の一言で、モノをどんどん捨てていった。
確かに男手ひとつで育てられた私たち姉妹は、片付けが非常に苦手である。
当時の実家は、大人の女の人からしたら信じられないほどに汚かったことだろうと思う。
でも、そのひとつひとつも、私にとってみれば母との思い出が詰まったもので、とても簡単には処分できなかったのだ。
それがどんどん捨てられた。日に日にモノが買い替えられて、位置が移動する。
私は、自分の家なのにモノの位置が分からなくなった。
例えば、「配膳を手伝いなさい」と言われる。そのとき、無意識にたどり着くその場所に、思い描いたものがない。
その位置を、いちいち後妻に聞かなくてはいけないのだ。
自分の家なのに分からない。できない。無意識に動けない。これが非常にストレスだった。
私は、どんどんリビングに行かなくなった。

そもそも……自分の実の父親が、見知らぬ他人の女の人とイチャイチャしている姿を見なければならないことも結構なストレスだった。目に見えてイチャイチャしているわけでなく、ふたりにとっては当たり前であろう些細な行動でも、娘である私からすると、どうしても生理的に受け付けないことが多かった。
そんなの全て、「他人は他人、自分は自分」で片付けるのが大人でしょ、と言われてしまえばそうなのかもしれない。
でもダメだった。あの頃の、大人になったばかりの私はそこまで割り切れなかった。
後妻がダメというよりも、そのバカ夫婦と同じ空間にいたくないという気持ちが強すぎた。

そして今。実はその後色々あって、現時点で後妻と父は別居している。
そして現在の父曰く、「これであなたもリビングに来てくれるよね?だってもう、あなたと折り合いの悪かったあの人はいないのだから。」
申し訳ないけれど、正直今でも私はリビングに行けない。
こんなことを言ったら父を悲しませるからさすがに言わないけれど、正直父と顔を合わせるのが嫌である。
20歳の頃に自分のなかで、プツン、と一度切れてしまった糸。それは未だにうまく繋がらない。
この家は、私が守らないといけない。母が亡くなって以来、心に秘めていた気持ち。プライド。強がり。それらはすっかり冷めてしまった。
モノが捨てられ、散々泣かれて怒られて、家族のことを悪く言われて……そんな後妻が嫌だったし、そんな後妻と私たちの仲立ちを一切しなかった父も意味が分からなかった。
今の私が彼ら(残念だけど、この数年間で確実に「彼ら」になってしまった。)とうまく生きていくには、申し訳ないけど、距離を取ることしかできないのだ。

こんな人生を生きてきてしみじみ思うのは、自分の色々なところで、家族の温かみを感じられないということだ。
私はテレビを見ない、という事実自体は全く大したことがないことである。でもその裏にある意味は重い。つまり、家族の団欒が一切存在しないのだ。
実家でご飯を食べることすらない。朝昼晩、年がら年中、全て外食か中食である。
うちでは、三者三様に外食か弁当である。そもそも母が生きていたときから体調が悪くとても自炊はできなかったので、弁当が多かったが。
高校生の頃は、3人が交代で家族全員分のご飯を作っていたけれど、後妻が来てからそれも無くなった。
リビングに行くのが嫌なので、洗濯物もベランダには干さない。ベランダに行くにはリビングを通らなくてはならないから、行きたくないのである。
親と同居はしているけど、話をするのは数週間に一回くらい。顔だってほとんど合わせない。たまにお叱りのメールが飛んでくる。一緒に住んでいるのだから、たまには挨拶に来なさいと。いやいや、お互いさまでしょう、と思うけれど、父にはいくら言葉を連ねても想いは伝わらない。喧嘩にすらならない。
我ながら、ヒドい世界に生きている。
そしてそのヒドい世界は、私の大人げない割り切れなさが作り出している。
分かっていても、その溝だけはどうしても埋められない。

だから、他人から家族の話を聞くと、凄いなと思う。
家に帰ると温かいご飯があって、母親がいてくれて、家事を手伝いなさいと言われて文句を垂れる。
そんな時代が私にもあったけれど、もう遥かに遠い昔のこと。
「実家から出たいと思えないんだよね」と言える同期が羨ましい。
私は実家から逃げたくて仕方がない。こんなヒドい世界に、本当は私だっていたくないのだ。
父はそれを「逃げているだけ」という。どこに行ったって、お前のメンタルは変わりはしないよと。そうかもしれない。

確かに。
もっと頑張って、後妻と仲良くするべきだったし、もっと頑張って、働く後妻を支えて夕飯を作るべきだったし、もっと頑張って、父のストレスを支えて後妻の愚痴を聞いてあげるべきだったし、もっと頑張って、部屋も片付けるべきだったし、もっと頑張って、「優しいあの子」でいてあげるべきだったのかもしれないね。
(後妻には「あなたは優しい子なのに、なんでこんなヒドイことを言うの?」と叱られたのが強烈に印象に残っている。その答えは、「あなた=私は優しい子ではないから」で済むのに、彼女はあくまで彼女のうちにある「優しいあの子」の像を私に押し付けて、それに当てはまらないことに対して怒っている……という意味の分からなさにドン引きした。彼女の鋳型に当てはまることをあからさまに求められていることに、うまく対応しきれなかった。
それからしばらく彼女と口を聞けなかったし、彼女に触れられようものなら冗談抜きに震えが止まらなかった。)

でもさぁ……この実家で、マトモな家族をやるにはね。
私が夕飯を作って、父の愚痴とか聞いて、父の後妻への惚気を聞いて……
正直な話、結構ツライのである。
親の恋愛話って、本当にメンタルやられますよ(しかも残業後に)。

そろそろ私を「俺の良い娘」から解放して欲しい。
私だって本当は、テレビを見たいし、テレビを見ながらくだらない話をしたいし、手伝いなさいと言われて文句を垂れたかった。

私は宗教を信じていないけれど、家族に関して言えば、多分前世でよほど家族にヒドいことをしたんだろうな、と思っている。